人生体験その2〜この1年で起きたこと〜

❶前おき

私は、生まれた時から視力が裸眼で0.01くらいしかなく、失明しやすいと言われてきました。

 


また、発達障害、感覚過敏という特性があり、光や音に対して人よりも敏感で、異常に疲れやすく、頭痛や不眠、極度の肩こりなど、自律神経失調症に長年悩まされています。

受験や就活でも挫折し、引きこもりも経験しました。

 


いつも自分に自信が持てず、いつしか喜怒哀楽も表現できなくなり、鏡に映る自分を無意識に見たくないくらい自分のことが大嫌いでした。

 


ですが、こんな私でも、あらゆることを学び、自分と向き合う中で、理想の就職を勝ち取るという夢を叶え、自分が自律神経失調症という不調に至った本当の原因も知ることができました。

 


そして、今やっと自分のことを心から深く愛せるようになり、今では自分のことが100点満点に好きになることで、人生が大きく開かれていくんだと身をもって体験することができました。

 

 

 

私は看護師をして今年で10年目になります。仕事中は走り詰め、休憩も取れず、たくさんの薬を飲みながら、何度もうつ病を繰り返す。

そんな無理をした生活を長年続け、結婚してからは、家族を守るために副業や、家事、育児と必死で生きてきました。

 


自分の心の声を無視し続けてきた、そういった無理な生活がたたったのか、夜勤明けでも一切眠ることができない身体になってしまいました。

 

 

ある時、職場都合で不当に給料が減らされるということが起きました。

当時は物価高や増税などで、じわじわと生活が苦しくなってきた時でした。

 


人間関係や、自身の身体のことなど、仕事、金銭的なことで悩むという自信の悩みを解決したい!と真剣に祈り!

 


仕事、家事育児と多忙な、コロナ禍という状況もあり、限られた時間や環境の中で、YouTubeを通じて仏法の指導を学んでいきました。

 


しかし、転職活動を始めてもなかなか希望通りの内定が出ず、焦りや不安を感じていました。

 

 

自分を過小評価しやすいこれまでの自分であれは、諦めや、こんなこと叶わないだろうなとか、不信感に陥っていたと思います。

 

 

最も苦しい状況の中で、いかにして自分を信じ切ることができたか、一念を定めた祈りの大切さについて学んだこと、経験できたことを紹介していきたいと思います。

 

皆さんに質問なんですが

今の自分に点数をつけるとしたら、100点満点で何点くらいになるでしょうか?

①0〜60点 多い

②61〜99点 少ない

③100点 ほとんどいない

 


実は③を選ぶ日本人の方はほとんどいないのです。

 


先ほど申し上げた自分を低く見てしまう考え方について

 

実はこれは日本人特有の村の文化の影響を受けているんです。

 

日本人って、真面目であることが美徳とされ

謙虚、控えめに、いい気になってはいけない、調子に乗っては世間から村八分にされる などの思想がありますよね?

 

一言で言うと、[自分を殺せ] というのが日本文化の悪い側面なんです。

 

だから、真面目な人ほど、周りに合わせて世間の村の文化に忠実に生きようとして、自分自身を殺してしまっているんです。

 

真面目で自分を殺すというのは、仏法の眼で見ると、妙法の当体を殺していることになり、

謗法(罰)になるんです。

 

 

そして、自身の外に神や仏(絶対的な対象)を求めてしまうと、

自分を卑下して、こんな汚れた世界(自分が今存在している場所 職場や家庭など)から現実逃避をして、最悪の場合は早く死にたいという考え方になってしまうんです。

 

福運がなく、境涯の低い私たちは、

偉大な仏様や神様におすがりし、その功徳や智慧を分けて頂こうという発想になってしまうんです。

 


これに対して、この仏法では、「図々しく、図太く、たくましくいこう」とありますが、これは自分自身を100点満点と見ていこうという考え方なんですね。

 

本来の仏教は、自分自身を最高に褒めたたえていく思想なんです。

 

これは傲慢でもなんでもなく、仏法的には正しいことになるのです。

(傲慢とは他者と自分を比較して、他者が劣っており、自分の方が優れているという修羅界の考え方だと思ってください)

 


仏法の中でも法華経というのは

 

最悪の自分が偉大だ

 

と説く経典です。

 


少し難しいかもしれませんが、教学的に言えば

二乗作仏という教えになります。

 


二乗というのは、これまで世間から相手にされない、成仏できないと考えられてきた悪人、女人であっても、この法華経を保てば偉大な存在であり、成仏することができるという考え方です。

成仏というのは、死んでから仏になるのではないのです。

 

(仏というのは、人それぞれの内側にある生命のことであり、生きている今この瞬間、今世で自身の胸中に開かれていく、無限の可能性や勇気、智慧のような、どんな困難も乗り越えていくことができる最高に強くて綺麗な命の状態だと思ってください。)

 

実はこの悪人、女人というのは、(教学的に突っ込んだ見方をすれば)

 

最も落ち込んだ自分、最も情けない自分のことなんです。

 

人と比べても劣っていると思わざるを得ない。

 

その惨めな境遇の自分こそ、実は偉大な仏であり

人それぞれに使命があり素晴らしい、尊い存在なんだと信じること。

 

これが法華経を持つ(たもつ)ということなんです。

 

元気な自分や絶好調の自分を偉大だと見ることはまぁできます。

 

だけど、困難に立ち往生した自分、大失敗して人からもバカにされて、落ち込んでいる惨めな自分を偉大と見ることは信じ難いでしょう。

 

しかし、そこに立ってこそ、法華経なんです。

 


(また、一念を定めた祈りについて)

「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり」

 

不可能を可能にするのが信心だよ と仰っている。

 

お願いはしてみます。でもだめだろうなと半信半疑で祈っているとそうなる。願い通り。

信仰というのは、無理だから祈る。方法がないから祈る。常識で不可能だから祈る。

方法があれば祈る必要はない。道がないから祈るんです。

 

これらの学んだことを胸に、ことごとく面接に落ちるという、逆境にあっても必ず希望通りの条件の会社と巡り会える!と自分自身を信じ抜き、

 

最後まで自分自身を信じ切ったものが、必ず勝つ!

 

という信念で、御本尊様に100%自分の生命を預け、確信し切った祈りを継続することができました。

 

 

すると、人間関係や給料面、こんな細かいことは叶わないだろうなと、思っていたことも含め、25項目以上祈ってきた全てが叶った これ以上ない100点満点の会社の採用を勝ち取ることができました。

 

 

 


しかし、その後も不眠や頭痛、呼吸苦といった自律神経失調症を解決するということには答えが見つかりませんでした。

 


私は長年の心身の不調を本気で治したいと決意し

中医学やチャクラ、発達障害支援など様々なことを学んできました。

 


その中でわかったことは

身体が発する症状は全て、感情的なストレスから生じるもので本人に対してあるメッセージを発しており、また、そのストレスの種類によって体のどこに不調をきたすのかが決まるということです。

 

東洋医学では、深い悲しみの感情は肺や大腸に、不安や恐れといった感情は腎に蓄積し、不調をきたす こういったことを学ぶことができました。

 


最近学んだことで印象に残ったことがあります。

[人は性格があって、長所短所があるのが当たり前。パズルのピースみたいに凸凹があるんだから、みんなが無理なく自然に協調しながらお互いに弱みを補い合って貢献しあって行けば良い 短所に見えることは反対から見れば長所なんだよ]

 


 

自分が学んだこういったことは、1人ひとり個性があって素晴らしい存在なんだよと、説く

仏法や、小さい頃から母親から学んできたことと同じだなと思いました。

 


 
実は、先日たまたまマスクを忘れて出勤したことがありました。

 

すると、不思議と今まで苦手だと思っていた人と仲良くなれた実感があり、その時に自分の表情=自分にとっての弱み を見せることで人と繋がれたんだと気づき、今までのコロナ禍で無意識に自分の表情=弱みを隠していることに気がつきました。

 

「あ、自分の弱みや感情を表現することって、大事なんだ!そうすることで人と繋がることができるんだ」

 

このマスク忘れの一件以降

「自分の最大の弱みってなんだろうか」と思い。

 

お題目を重ねる中で

「生まれつきの超近視」だと悟ったんです。


そこで、メガネを外して仕事をしたらどうなるかな?と思い、患者さんや家族さんと話す時など、真剣に人の思いを聞く時にメガネを外してみました。

 

 

ぼんやりとしか見えないのですが

 

日々のお題目で、感謝と他者の幸せを願う心があれば


直感力が冴え渡り、不思議とメガネをかけている時より人の心の波長を感じることができ、困っていることや不安に思っていることを引き出すことができ、その方のストレスを解消するような声かけや、コミニュケーションができていることに気がつき、人と心が共鳴し合えたような不思議な感覚を覚えました。

 


このことを思い返しながら、妻と一緒に真剣にお題目を唱えていく中で、


[生まれつきの視覚過敏、聴覚過敏などの直感力は、視力が極端に悪い自分でも、ありのままの姿で、他者と心を通わせることができるように自分に備わっていた、生まれ持ったセンサーだったんだ]


[生まれつきの近視は実は、嫌なことや、自分にとって悪意を持った人や、害のある人の心の波形を感じにくい 自分の心が傷つかないよう守ってくれていたんだ]

 

と悟ることができました。

 


そう思うと、

今まで一体、どれだけ自分自身に「こんな自分はダメな人間なんだ」と暴言を浴びせ続けてきたんだろう。

 


「身体は症状というメッセージを通して、自分に無理しないでって、必死に自分を守ってくれていただけだったんだな」

 


その自分の心の声を、薬を飲むことで、かき消して、今まで相当な無理をして来たんだなと心の底から思いました。

 

 

 

「今までずいぶん長い間、辛い言葉をかけ続けてきて、本当にごめん。」

 


そして

「ありがとう、これからは自分を大切にしていくね

 


と自分に対して、心の底から感謝ができるようになり、そう思うと自然と涙が溢れ出てきました。

そして、人生36年目にしてやっと自分のことを100%深く愛することができるようになりました。

(五行陰陽的に考えると、土という現実のステージから、自分の最大のカルマ=宿業を受け入れ、世間の常識を排泄し(金)、水のステージに魂の次元が上がったのだと思いました。)

 

 

 

この件以降、身体が発する症状=心の声をできるだけ無視しないようにすることで、徐々にではありますが、少しずつ眠れる身体に戻ってきたことを実感しています。

 


また、子どもが無邪気に遊んでいる時のように、人間は大好きなことをしている時が100%身心のバランスが整い力が発揮できると言われています。

 


これまでの自分は、自分の本当の思いを無意識に押し殺していることが多く、その結果身体の不調や自己肯定感の低下を招いていたことがわかりました。

 


今は少しずつですが、ギターを弾くことで、自分の心を表現したり、大好きな子どもと一緒に触れ合う時間を心から大切にしています。そうすることで、日々笑顔など自分の感情が戻っていることにも気が付きました。

 

 

 

 

❹今回の転職を勝ち取ったこと、自分の健康と向き合って得られたことから

ご本尊を100%信じ、自分自身を100%愛することで人生は大きく開かれていくんだと身をもって学ぶことができました。

 


また、同時に父親、母親のこれまでの苦労や現実に立ち向かう真剣な祈りで、自分が今までどれだけ守られていたんだろうと

 

その両親の気持ちを少しでも理解できたような気がして、更に感謝の念を抱くことができました。

 

 

 

発達障害から来る人間関係の悩みや生き辛さ、自律神経失調症について、自分の場合では恐怖麻痺反射という原始反射が残っていることが原因だとわかりました。

 

恐怖麻痺反射とは、赤ちゃんがお腹の中にいる時に、何らかのストレスを受けた際にダンゴムシのように身を固める反射のことをいいます。

 


普通は統合されて発達段階が次の反射へと進むのですが、何らかのストレスで統合されていないと、大人になっても人前で固まったり、見えない恐怖に対して無意識に息を止めたりと、生きづらさや自律神経の乱れにつながると言われています。

(皆さんも、仕事の場面などで、上司に叱責されたり、過大なストレスや精神的な負荷がかかった時に無意識に息を止めたり、呼吸が浅くなり、身を丸め固くなってしまう。

 

人と無意識に距離を取ってしまい近づけない。。

 

そういう場面を経験したことはないでしょうか? 恐怖麻痺反射はあれです)

 


そこで同じ発達障害で苦しむ方の力になりたいと、先日発達支援コーチ初級という資格を取ることができました。

この資格により、恐怖麻痺反射を含め、モロー反射という原始反射も統合することができ、脳を次の発達段階へと移行していけるお手伝いができるようになりました。

 

(発達障害は、脳が育ってないだけなので、原始反射を統合することで、脳が育ち、次の発達段階へと進むことで、生きづらさや人間関係のストレスが軽減していく)

 

 

❻今自分には夢があります。

 

身体の症状が発しているメッセージをその人の心に届け、病で苦しむ人の心身共の健康に貢献したい。

 

西洋医学だけでは救うことのできない悩みを

 

東洋医学やチャクラ、発達支援、キネシオロジー、音叉やアロマセラピーといった方法を用いて、トラウマを解消し、その方の持つ無限の可能性や使命を開花させるお手伝いができるようになりたい。

 

そのために自分の持てる力を最大限に発揮したい。

 

生まれながらの超近視や感覚過敏を持つ自分が生まれてきた理由は、これなんだと心から思っています。

 

 

 

❼実は最近、大きな難がやって来ました。

理想の就職を勝ち取った私ですが、ドラマに出てくるくらい信じられない陰湿な仕打ちを受け

年末に会社が倒産しそうになり、2週間で次の職場を見つけないといけない状況になりました。

しかも、その職場に前の職場から同僚2人を引き抜いており、年始から正社員として働くことが決まってたんです。

自分のことより、その2人の人生を路頭に迷わせてしまうことが本当に苦しくて、自分を責めました。

 

この後仕事や生活はどうなってしまうんだろう


上司や家族みんなが不安に思う中

 

私は、これは[大悪おこれば大善来たる]だ!

 


陰と陽は一体だから、自分たちが信念を貫き通して、間違ったことをしていないのだから、この後大きな良いことが起こることは間違いない!

 


未来はどうなるか?と不安に思うより、

 


自分はどんな未来を歩んでいきたいか?

 


と強くイメージし、望みたい未来(素粒子)を引き寄せることが大切だと決意し、一歩も退くことなく、強情にお題目を唱えることができました。

 


また上司にもこれはいいことが起こる前触れなので、自分たちは間違ったことを何もしてないので、安心してくださいと、確信した強いで訴えることができました。

 


すると3日後に、取引先から奇跡的に、

同じ条件で会社に来ないか?と声をかけて頂き、

夜勤もなく、通勤時間も短くなり、良い条件での就職を勝ち取ることができました!

(大きな難=陰から、大きな良いこと=陽へと転換した)

 

 

 

最後に自分が大好きなことばを紹介させて頂きます。

 


人間は自分に挑戦している時は、伸び続ける。

他人と比較をはじめる時、成長は止まる。

 


何か一つでも、自分が打ち込める大好きなものを持っているならば、それはおのずから自分の心の大地を耕し、育てることになる。

 

人生の敗北とは失敗することではない。失敗したり、落ち込んだとき、そこで自分をあきらめてしまうことです。

 

再び立ち上がらないことこそ、敗北なのです。