人生体験その2〜この1年で起きたこと〜

❶前おき

私は、生まれた時から視力が裸眼で0.01くらいしかなく、失明しやすいと言われてきました。

 


また、発達障害、感覚過敏という特性があり、光や音に対して人よりも敏感で、異常に疲れやすく、頭痛や不眠、極度の肩こりなど、自律神経失調症に長年悩まされています。

受験や就活でも挫折し、引きこもりも経験しました。

 


いつも自分に自信が持てず、いつしか喜怒哀楽も表現できなくなり、鏡に映る自分を無意識に見たくないくらい自分のことが大嫌いでした。

 


ですが、こんな私でも、あらゆることを学び、自分と向き合う中で、理想の就職を勝ち取るという夢を叶え、自分が自律神経失調症という不調に至った本当の原因も知ることができました。

 


そして、今やっと自分のことを心から深く愛せるようになり、今では自分のことが100点満点に好きになることで、人生が大きく開かれていくんだと身をもって体験することができました。

 

 

 

私は看護師をして今年で10年目になります。仕事中は走り詰め、休憩も取れず、たくさんの薬を飲みながら、何度もうつ病を繰り返す。

そんな無理をした生活を長年続け、結婚してからは、家族を守るために副業や、家事、育児と必死で生きてきました。

 


自分の心の声を無視し続けてきた、そういった無理な生活がたたったのか、夜勤明けでも一切眠ることができない身体になってしまいました。

 

 

ある時、職場都合で不当に給料が減らされるということが起きました。

当時は物価高や増税などで、じわじわと生活が苦しくなってきた時でした。

 


人間関係や、自身の身体のことなど、仕事、金銭的なことで悩むという自信の悩みを解決したい!と真剣に祈り!

 


仕事、家事育児と多忙な、コロナ禍という状況もあり、限られた時間や環境の中で、YouTubeを通じて仏法の指導を学んでいきました。

 


しかし、転職活動を始めてもなかなか希望通りの内定が出ず、焦りや不安を感じていました。

 

 

自分を過小評価しやすいこれまでの自分であれは、諦めや、こんなこと叶わないだろうなとか、不信感に陥っていたと思います。

 

 

最も苦しい状況の中で、いかにして自分を信じ切ることができたか、一念を定めた祈りの大切さについて学んだこと、経験できたことを紹介していきたいと思います。

 

皆さんに質問なんですが

今の自分に点数をつけるとしたら、100点満点で何点くらいになるでしょうか?

①0〜60点 多い

②61〜99点 少ない

③100点 ほとんどいない

 


実は③を選ぶ日本人の方はほとんどいないのです。

 


先ほど申し上げた自分を低く見てしまう考え方について

 

実はこれは日本人特有の村の文化の影響を受けているんです。

 

日本人って、真面目であることが美徳とされ

謙虚、控えめに、いい気になってはいけない、調子に乗っては世間から村八分にされる などの思想がありますよね?

 

一言で言うと、[自分を殺せ] というのが日本文化の悪い側面なんです。

 

だから、真面目な人ほど、周りに合わせて世間の村の文化に忠実に生きようとして、自分自身を殺してしまっているんです。

 

真面目で自分を殺すというのは、仏法の眼で見ると、妙法の当体を殺していることになり、

謗法(罰)になるんです。

 

 

そして、自身の外に神や仏(絶対的な対象)を求めてしまうと、

自分を卑下して、こんな汚れた世界(自分が今存在している場所 職場や家庭など)から現実逃避をして、最悪の場合は早く死にたいという考え方になってしまうんです。

 

福運がなく、境涯の低い私たちは、

偉大な仏様や神様におすがりし、その功徳や智慧を分けて頂こうという発想になってしまうんです。

 


これに対して、この仏法では、「図々しく、図太く、たくましくいこう」とありますが、これは自分自身を100点満点と見ていこうという考え方なんですね。

 

本来の仏教は、自分自身を最高に褒めたたえていく思想なんです。

 

これは傲慢でもなんでもなく、仏法的には正しいことになるのです。

(傲慢とは他者と自分を比較して、他者が劣っており、自分の方が優れているという修羅界の考え方だと思ってください)

 


仏法の中でも法華経というのは

 

最悪の自分が偉大だ

 

と説く経典です。

 


少し難しいかもしれませんが、教学的に言えば

二乗作仏という教えになります。

 


二乗というのは、これまで世間から相手にされない、成仏できないと考えられてきた悪人、女人であっても、この法華経を保てば偉大な存在であり、成仏することができるという考え方です。

成仏というのは、死んでから仏になるのではないのです。

 

(仏というのは、人それぞれの内側にある生命のことであり、生きている今この瞬間、今世で自身の胸中に開かれていく、無限の可能性や勇気、智慧のような、どんな困難も乗り越えていくことができる最高に強くて綺麗な命の状態だと思ってください。)

 

実はこの悪人、女人というのは、(教学的に突っ込んだ見方をすれば)

 

最も落ち込んだ自分、最も情けない自分のことなんです。

 

人と比べても劣っていると思わざるを得ない。

 

その惨めな境遇の自分こそ、実は偉大な仏であり

人それぞれに使命があり素晴らしい、尊い存在なんだと信じること。

 

これが法華経を持つ(たもつ)ということなんです。

 

元気な自分や絶好調の自分を偉大だと見ることはまぁできます。

 

だけど、困難に立ち往生した自分、大失敗して人からもバカにされて、落ち込んでいる惨めな自分を偉大と見ることは信じ難いでしょう。

 

しかし、そこに立ってこそ、法華経なんです。

 


(また、一念を定めた祈りについて)

「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり」

 

不可能を可能にするのが信心だよ と仰っている。

 

お願いはしてみます。でもだめだろうなと半信半疑で祈っているとそうなる。願い通り。

信仰というのは、無理だから祈る。方法がないから祈る。常識で不可能だから祈る。

方法があれば祈る必要はない。道がないから祈るんです。

 

これらの学んだことを胸に、ことごとく面接に落ちるという、逆境にあっても必ず希望通りの条件の会社と巡り会える!と自分自身を信じ抜き、

 

最後まで自分自身を信じ切ったものが、必ず勝つ!

 

という信念で、御本尊様に100%自分の生命を預け、確信し切った祈りを継続することができました。

 

 

すると、人間関係や給料面、こんな細かいことは叶わないだろうなと、思っていたことも含め、25項目以上祈ってきた全てが叶った これ以上ない100点満点の会社の採用を勝ち取ることができました。

 

 

 


しかし、その後も不眠や頭痛、呼吸苦といった自律神経失調症を解決するということには答えが見つかりませんでした。

 


私は長年の心身の不調を本気で治したいと決意し

中医学やチャクラ、発達障害支援など様々なことを学んできました。

 


その中でわかったことは

身体が発する症状は全て、感情的なストレスから生じるもので本人に対してあるメッセージを発しており、また、そのストレスの種類によって体のどこに不調をきたすのかが決まるということです。

 

東洋医学では、深い悲しみの感情は肺や大腸に、不安や恐れといった感情は腎に蓄積し、不調をきたす こういったことを学ぶことができました。

 


最近学んだことで印象に残ったことがあります。

[人は性格があって、長所短所があるのが当たり前。パズルのピースみたいに凸凹があるんだから、みんなが無理なく自然に協調しながらお互いに弱みを補い合って貢献しあって行けば良い 短所に見えることは反対から見れば長所なんだよ]

 


 

自分が学んだこういったことは、1人ひとり個性があって素晴らしい存在なんだよと、説く

仏法や、小さい頃から母親から学んできたことと同じだなと思いました。

 


 
実は、先日たまたまマスクを忘れて出勤したことがありました。

 

すると、不思議と今まで苦手だと思っていた人と仲良くなれた実感があり、その時に自分の表情=自分にとっての弱み を見せることで人と繋がれたんだと気づき、今までのコロナ禍で無意識に自分の表情=弱みを隠していることに気がつきました。

 

「あ、自分の弱みや感情を表現することって、大事なんだ!そうすることで人と繋がることができるんだ」

 

このマスク忘れの一件以降

「自分の最大の弱みってなんだろうか」と思い。

 

お題目を重ねる中で

「生まれつきの超近視」だと悟ったんです。


そこで、メガネを外して仕事をしたらどうなるかな?と思い、患者さんや家族さんと話す時など、真剣に人の思いを聞く時にメガネを外してみました。

 

 

ぼんやりとしか見えないのですが

 

日々のお題目で、感謝と他者の幸せを願う心があれば


直感力が冴え渡り、不思議とメガネをかけている時より人の心の波長を感じることができ、困っていることや不安に思っていることを引き出すことができ、その方のストレスを解消するような声かけや、コミニュケーションができていることに気がつき、人と心が共鳴し合えたような不思議な感覚を覚えました。

 


このことを思い返しながら、妻と一緒に真剣にお題目を唱えていく中で、


[生まれつきの視覚過敏、聴覚過敏などの直感力は、視力が極端に悪い自分でも、ありのままの姿で、他者と心を通わせることができるように自分に備わっていた、生まれ持ったセンサーだったんだ]


[生まれつきの近視は実は、嫌なことや、自分にとって悪意を持った人や、害のある人の心の波形を感じにくい 自分の心が傷つかないよう守ってくれていたんだ]

 

と悟ることができました。

 


そう思うと、

今まで一体、どれだけ自分自身に「こんな自分はダメな人間なんだ」と暴言を浴びせ続けてきたんだろう。

 


「身体は症状というメッセージを通して、自分に無理しないでって、必死に自分を守ってくれていただけだったんだな」

 


その自分の心の声を、薬を飲むことで、かき消して、今まで相当な無理をして来たんだなと心の底から思いました。

 

 

 

「今までずいぶん長い間、辛い言葉をかけ続けてきて、本当にごめん。」

 


そして

「ありがとう、これからは自分を大切にしていくね

 


と自分に対して、心の底から感謝ができるようになり、そう思うと自然と涙が溢れ出てきました。

そして、人生36年目にしてやっと自分のことを100%深く愛することができるようになりました。

(五行陰陽的に考えると、土という現実のステージから、自分の最大のカルマ=宿業を受け入れ、世間の常識を排泄し(金)、水のステージに魂の次元が上がったのだと思いました。)

 

 

 

この件以降、身体が発する症状=心の声をできるだけ無視しないようにすることで、徐々にではありますが、少しずつ眠れる身体に戻ってきたことを実感しています。

 


また、子どもが無邪気に遊んでいる時のように、人間は大好きなことをしている時が100%身心のバランスが整い力が発揮できると言われています。

 


これまでの自分は、自分の本当の思いを無意識に押し殺していることが多く、その結果身体の不調や自己肯定感の低下を招いていたことがわかりました。

 


今は少しずつですが、ギターを弾くことで、自分の心を表現したり、大好きな子どもと一緒に触れ合う時間を心から大切にしています。そうすることで、日々笑顔など自分の感情が戻っていることにも気が付きました。

 

 

 

 

❹今回の転職を勝ち取ったこと、自分の健康と向き合って得られたことから

ご本尊を100%信じ、自分自身を100%愛することで人生は大きく開かれていくんだと身をもって学ぶことができました。

 


また、同時に父親、母親のこれまでの苦労や現実に立ち向かう真剣な祈りで、自分が今までどれだけ守られていたんだろうと

 

その両親の気持ちを少しでも理解できたような気がして、更に感謝の念を抱くことができました。

 

 

 

発達障害から来る人間関係の悩みや生き辛さ、自律神経失調症について、自分の場合では恐怖麻痺反射という原始反射が残っていることが原因だとわかりました。

 

恐怖麻痺反射とは、赤ちゃんがお腹の中にいる時に、何らかのストレスを受けた際にダンゴムシのように身を固める反射のことをいいます。

 


普通は統合されて発達段階が次の反射へと進むのですが、何らかのストレスで統合されていないと、大人になっても人前で固まったり、見えない恐怖に対して無意識に息を止めたりと、生きづらさや自律神経の乱れにつながると言われています。

(皆さんも、仕事の場面などで、上司に叱責されたり、過大なストレスや精神的な負荷がかかった時に無意識に息を止めたり、呼吸が浅くなり、身を丸め固くなってしまう。

 

人と無意識に距離を取ってしまい近づけない。。

 

そういう場面を経験したことはないでしょうか? 恐怖麻痺反射はあれです)

 


そこで同じ発達障害で苦しむ方の力になりたいと、先日発達支援コーチ初級という資格を取ることができました。

この資格により、恐怖麻痺反射を含め、モロー反射という原始反射も統合することができ、脳を次の発達段階へと移行していけるお手伝いができるようになりました。

 

(発達障害は、脳が育ってないだけなので、原始反射を統合することで、脳が育ち、次の発達段階へと進むことで、生きづらさや人間関係のストレスが軽減していく)

 

 

❻今自分には夢があります。

 

身体の症状が発しているメッセージをその人の心に届け、病で苦しむ人の心身共の健康に貢献したい。

 

西洋医学だけでは救うことのできない悩みを

 

東洋医学やチャクラ、発達支援、キネシオロジー、音叉やアロマセラピーといった方法を用いて、トラウマを解消し、その方の持つ無限の可能性や使命を開花させるお手伝いができるようになりたい。

 

そのために自分の持てる力を最大限に発揮したい。

 

生まれながらの超近視や感覚過敏を持つ自分が生まれてきた理由は、これなんだと心から思っています。

 

 

 

❼実は最近、大きな難がやって来ました。

理想の就職を勝ち取った私ですが、ドラマに出てくるくらい信じられない陰湿な仕打ちを受け

年末に会社が倒産しそうになり、2週間で次の職場を見つけないといけない状況になりました。

しかも、その職場に前の職場から同僚2人を引き抜いており、年始から正社員として働くことが決まってたんです。

自分のことより、その2人の人生を路頭に迷わせてしまうことが本当に苦しくて、自分を責めました。

 

この後仕事や生活はどうなってしまうんだろう


上司や家族みんなが不安に思う中

 

私は、これは[大悪おこれば大善来たる]だ!

 


陰と陽は一体だから、自分たちが信念を貫き通して、間違ったことをしていないのだから、この後大きな良いことが起こることは間違いない!

 


未来はどうなるか?と不安に思うより、

 


自分はどんな未来を歩んでいきたいか?

 


と強くイメージし、望みたい未来(素粒子)を引き寄せることが大切だと決意し、一歩も退くことなく、強情にお題目を唱えることができました。

 


また上司にもこれはいいことが起こる前触れなので、自分たちは間違ったことを何もしてないので、安心してくださいと、確信した強いで訴えることができました。

 


すると3日後に、取引先から奇跡的に、

同じ条件で会社に来ないか?と声をかけて頂き、

夜勤もなく、通勤時間も短くなり、良い条件での就職を勝ち取ることができました!

(大きな難=陰から、大きな良いこと=陽へと転換した)

 

 

 

最後に自分が大好きなことばを紹介させて頂きます。

 


人間は自分に挑戦している時は、伸び続ける。

他人と比較をはじめる時、成長は止まる。

 


何か一つでも、自分が打ち込める大好きなものを持っているならば、それはおのずから自分の心の大地を耕し、育てることになる。

 

人生の敗北とは失敗することではない。失敗したり、落ち込んだとき、そこで自分をあきらめてしまうことです。

 

再び立ち上がらないことこそ、敗北なのです。

人生の試練を乗り越え、自他共の幸福への扉を開く 〜メガネの向こう側から見えた真実〜 自分を受け入れることの力

このブログを最後まで読んで頂くことで、どんな困難も乗り越えられる力や希望を、自分自身の中に見出せるようになるかもしれません。

 

人生の旅は、予測できない挑戦と共に歩むもの。
そして、人生の試練は、私たちの道を照らす光であり灯台のようなもの。

 

私の人生は、生まれた時から試練と苦労の連続でした。

 

私の物語は、遺伝の影響とともに始まりました。それは目の問題です。

 

私の家系は代々目が悪く

祖母は両目を失明、母も片目を失明。

自分も生まれつきの超近視(裸眼の視力が0.01くらい)でして、眼球もデメキン👀のように大きく前に出ています。

「この子は生まれつき目の前しか見えてないよ 眼球もラグビーボールの形をしていて引っ張られている形になっているからいつ失明してもおかしくない」と医者に言われ

母は幼子だった僕を抱きながら「なんでこの子まで....」と悲嘆に暮れていたようです。

 

母は仏教徒であり、私もその影響を受け、信心をしているのですが

 

自分達が目が悪いのは、

[過去世で犯した罪の証し]である。

 

しかし、[仏法を学び自他共の幸せに貢献していくならば、自身の罪業を転換し、薬へと変えていくことができる]

 

また、

[自分自身へ感謝することが、自他共の幸福へと繋がっていく それが宇宙のリズムなんだよ]

 

と幼少期から教わってきました。

 

この教えは今の自分にも強く生きているのですが、人生のさまざまな場面において、

頭ではこのことがわかっていても、心の奥底で自分を信じきれなかったり、腑に落ちない場面が多々ありました。

 

(私の幼少期の話に戻ります)

私は3歳ごろまでは、ぼんやりとですが

裸眼で時計も見えており、幼なじみや近所の子ども達と無邪気に心の底から楽しんで遊んでいたことは覚えています。

 

しかし、やはりDNAの影響でしょうか、祖母や母と同じく

自分も生まれてから何度も失明の危機に見舞われました。

4歳くらいだったと思うのですが、公園で野球していた人のボールがそのまま右目に直撃したり、小学5年生の時に、全力で廊下を走ってきた同級生の頭が自分の右目に直撃し、そのあまりの衝撃度合い、痛さから

「あ、失明したわ・・・」と思ったことは今でも覚えています。

 

その後も何度も目をぶつけており(必ず右目をぶつけてきました)、失明の危機を幾多となく乗り越えてきました。

 

幼少期の記憶を辿ると、目をぶつけることで視力が下がり、幼稚園の時計が見にくくなった4〜6歳ごろのタイミングでメガネをかけたことを覚えています。


また、自分は物心ついた時(おそらく4〜6歳ごろ)からの多汗症

人と手を繋ぐことが怖かったり、

 

発達障害(ASD ADHD)による過集中やケアレスミス

 

強迫性障害から来る、自分への追い込みと思い込み、見通しの立たないことに対しての不安

 

場の空気が読めずに人とうまくコミュニケーションが取れなかったり、日本特有の上下関係や体育会系な風土に慣れることができず、

きつい言葉を浴びせられたら、昔からストレートに受け取ってしまい、傷つきやすい体質でした。

 

また感覚過敏(視覚過敏 聴覚過敏)から光や音に敏感で、外で目を開けることができなかったり、都会やショッピングモールの騒音で疲れやすいなどの症状で悩んできました。

 

最近ではスマホやパソコン、家電などの電磁波にも弱く、仕事をしてから10年以上は不眠、頭痛、結婚してからは全身のかゆみといったアレルギー、最近は呼吸苦や動悸も出てきて動けない時もあるほど心身共に疲弊してます。

 

強迫性障害に関しては、

私が4〜6歳くらいの時に母親に

[男は稼いで家庭を守る]

[家族を守るためには安定した仕事に就くこと]

と教えられて育ってきたのですが、

その頃から将来家族を守るために安定した仕事に

就くためには、いわゆる良い大学に行かなければならない、そのためにはいわゆる良い高校に行かなければならない というような思考(後述する他人軸思考)が始まったと記憶しています。

 

ここまで、苦しいことの紹介ばかりでしたが、私には楽しいこともたくさんありました。

 

小学校の時に始めた少年野球では、心の底から楽しんでスポーツをすることができました。

努力してホームランを打つことができたり、ファインプレーからみんなと一致団結して喜びを爆発させるなど

できないことに対して、努力して、達成した体験から、自己肯定感を高める経験を得ることができました。

 

母親からも

[キラキラしているあなたを毎日見れることが本当に幸せでした]

とメッセージをもらった時に本当に嬉しかったことを覚えています。

 

また高校の時に、軽音楽部に誘われてバンドを始めたのですが、その時も本当に楽しく、

時間が過ぎ去るのがあっという間に感じられるくらい、充実した日々を送っていました。

 

(また苦労した話に戻ります)

学生時代に挫折した経験では、

大学受験において、1日10時間以上も勉強して、浪人までしても志望校に合格できず、

「なんで自分はこんなに頭が悪いんだろう」

「どうして論理的思考力が身につかないんだろう」

と自己肯定感を下げて生きてきました。


社会人になってから

人に暴言、悪口を言われるたびに、何度も鬱になったり

そこから不眠や頭痛 自責の念などで苦しんできました

(発達障害の人が、環境への適応ができずに発症する 二次性のうつ症状が出ていたと思います。)


特に職場に必ず1人はいてるお局さんに徹底的に目をつけられ、自分のできていないことを根掘り葉掘り見つけられ、人間性を否定する言葉を浴びせられ、心を病み転職を繰り返してきました。


「なんで自分はこんなに何もできないんだ!」

と自分で自分を責めすぎてしまって、胸が苦しくなり、何回も死にたいと思うこともありました。


そんな私ですが

縁あって今の妻と出会い、結婚をし、子どもにも恵まれることができました。子どもと過ごす日々は、自分にとって本当に宝物と言える素敵な日々です。

 

しかし、結婚をし、家を買ってからは一家の大黒柱としてのプレッシャーからか

 

「子どものため、家族のために頑張らなければならない」

 

そう自分に言い聞かせて足の靱帯が切れて歩けない時でも

不眠が続き呼吸が苦しくて駅まで歩けない時でも

「家族のために」と、休みの日でも家事育児などをして無理をしすぎて、自分を苦しめながらここまで生きてきました。

 

以前働いていた職場で

[おまえは発達障害があると思うから病院に行きなさい]と心無い言葉を浴びせられ

そのまま発達障害専門の脳クリニックに行って、

実際に発達障害があるとわかるのですが、

その時は自分の苦しみの原因が初めて発達障害だったんだとわかり、治すことはできないけど、困難への対処方法などはできるから、できる部分をやって社会に貢献できる人間になっていこうと前向きになれたことを覚えています。

 

発達障害のクリニックで、最新の脳の治療を受け、

ぐるぐる回るネガティブな思考から上手く切り替えができたり、不眠が良くなったと時もありましたが、長続きはせず、時間が経てばまた元に戻ると言った具体で

「なんで良くならないんだ」と、終わらない身体の不調に悩んできました。

 

ここに至るまで

本当に苦しく、人生の試練が永遠に続くかのように思われるような感じがしていたのですが、最近ようやく

これらの困難が私を強くし、人生の価値観を深め、理解を促す働きをだったと認識されられました。

 

私はこれらの試練を通じて、人生の中で何が本当に大切であるのか、どうすれば自分自身や他者の命を尊重し、感謝の心を持てるのかを学びました。そして、この経験を通じて、他者に伝えたい価値観や考え方が形成されてきました。

 

以下、そのプロセスを紹介していきたいと思います。


ある時、私は長年の心身の不調を本気で治したいと決意し

大阪にある、自律神経専門整体院に通うことになりました。

そして、そこの先生からキネシオロジーやチャクラのことを教わり、そこからYouTube東洋医学系の動画にたどり着きました。

 

キネシオロジーとは、運動学を基礎に生まれた筋肉の調整法です。 

 

身体の反応は全て心の反応、投影であり、自己の内面にアプローチすることで心身共に症状が改善していくという治療法です。

 

キネシオロジーの講義を受ける中で

 

[物事には必ずマイナスな面とプラスの面が一体となって存在している。

 

マイナスと思えることには必ずプラスの面があるから、マイナスは自分の学びを深め、人に貢献していくための宇宙から与えられたギフトだと思いなさい]

 

[自他共の幸福のためにと志を大きくした時に自分自身の最大の力が発揮できる]

 

と教わりました。

 

これを受けて私は

自分の過去のネガティブな経験、感情を全て思い返し、一つひとつのトラウマと向き合う必要があると思い、生まれてから今に至るまでの全てのネガティブな感情を思い返し、向き合いました。

 

そして、ネガティブなことでも、捉え方次第、考え方次第でプラスに変わるとわかり、今まで経験してきたことが全て意味をなして繋がっているような気がしました。


自分は看護師をしているのですが、

実は先日たまたまマスクを忘れて出勤したことがありました。


その時に、キネシオロジーで学んだことを思い出し

 

[人はパズルのピースみたいに凸凹があるから、自分の凹んでいる部分は人に自然と補ってもらって貢献感や幸福感を味わってもらうと良い]

 

[逆に人の凹んでいる部分に対しては自分の凸(天才性の部分で)で補い、みんなが無理なく自然に協調しながらお互いに貢献しあって行けば良い]


これらのことを思い返すと、これまでマスクをしていた自分って、無意識のうちに自分の表情=自分の感情=弱み

を見せないようにしていたことに気づいたんです。


「自分の弱みを見せた方が人と繋がることができる」


これを意識してマスクなしで働いてみると、心と身体と脳が、一体となって行動できているのでしょうか 不思議と今まで苦手だと思っていた人と仲良くなれたり、協力できていることに気づきました。


また、自分の弱みを見せることで患者さんが心の悩みを打ち明けてくれたり、自然と心で共鳴し合えた実感がありました。


「あ、自分の弱みって、恥ずかしがらなくてもよくって、人にさらけ出してもいいんだ!」

と実体験で学ぶことができました。


そう思うと、今までの自分がいかに弱みを見せずに、長所ばかり見せようとして、職場でもプライベートでも人間関係が上手くいかず、転職を繰り返し続けて挫折してきたか、自分に無理をしてきたかを痛感しました。

 

このマスク忘れの一件以降

「自分の最大の弱みってなんだろうか」と


家族全員で断捨離をしてから考えた時に

(断捨離をすることで、思考が過去から未来へと切り替わり、前に進んでいけると教わりました。)

(この時は大のゴミ袋7つ分も断捨離することができました。笑)

 

自分の最大の弱みって

「生まれつきの超近視」だと悟ったんです。


そこで、先日人生で初めてメガネを外して仕事(夜勤も)をしました


裸眼ではぼんやり色と輪郭、動きがわかるくらいで、それ以外はほとんど見えてないんですけど、

 

感謝と自他共の幸せを願う心があれば


直感力が冴え渡り、メガネなしでも周囲が自然と協力してくれて、忙しくても問題なく回転することを実感致しました。


患者さんの体の変化から、今どういう心の変化があるのか?

どういう思いで過ごしているのか?不安は?気がかりなことは?

と、心を感じながら、その方の想いに寄り添える看護ができるようになりたい とこれまでしてきた看護から、がらっと考え方、接し方が変わりました。


あと嫌いな人や苦手な人でも必ず僕の言うことを聞いてくれるようになり、不思議な感覚を覚えました。

(もしかして、過去の嫌いな人も、メガネなしで関わっていたら、自分のことを助けてくれる、自分の凹みを埋めてくれる味方だったのかも?

そう思えてきました。)


「あー、生まれつきの視覚過敏、聴覚過敏は、人と心を通わせるための人より優れたセンサーだったんだ」と気づきました。


過去にも今にも、自分に嫌な態度をする人がいて、その人は自分に壁を作って心をを閉ざたり、攻撃的な態度をとってくるんですが、

(メガネをかけていないとその人のことが見えない)


あー、今までのド近視って嫌なことや、害のある波形を感じにくい 自分の心が傷つかず自分を守るためのものだったんだと気付くことができました。


今まで受験で挫折してきたけど、自分の良さ、人に貢献できる部分って受験など他人の評価では測れない所にあったんだと気づきました。

 

スピリチュアル的にはこれからは風の時代と言われています。

今後は人の心を大切にしていける人や企業が生き残っていく。

そういう時代に、自分は生きていけるように、この感覚過敏があるんだと思いました。

そのために、この自分のセンサーを人の心ために活かしたい。

 


この件から

いわゆる害虫(ゴキブリとか)って、もしこの世界が原始時代でメガネのない世界なら

自分には害虫は見えていなし、視界に入ったとしてもなんか小さい動く物くらいにしかわからなかったと思ったんです。


害虫って、人間が生み出した人間が勝手に貼ったレッテルだと気づいたんです。

害虫(ゴキブリ)と言われている存在が、実際は人間のエゴと欲望が生み出した産物だと。


この世界が原始時代で環境汚染のない世界なら、害虫とか言われていなかったと思うんです。


そして自分にとって本当の害虫は、

[発達障害だからあいつはダメ]

[超近視で何も見えてないからあいつはダメ]

と自分にレッテルを貼り付けて人間性を否定したり、他人の目で良い悪いや上下など評価したり

、差別化する人間だと気付いたんです。


「自分の生まれつきのド近視と感覚過敏は、見えなくても人と心で繋がるためのセンサーであり、また自分が害虫を見なくて済むように、宇宙が自分に与えてくれたギフトだったんだ」と気づきました。


そう思った時に

「こんな自分はダメな人間なんだ!」

と、一体今までどれだけ自分自身に暴言を浴びせ続けてきたんだろう。

「身体は自分のことを必死に守ってくれていただけなのに、と自分に対して長い間本当にごめんね、そしてありがとう、これからは自分を大切にしていくね」

と心から感謝ができるようになり、

自然と涙が溢れ出てきました


自分は3.4歳ごろからメガネをつけてるんですけど、おそらくその時から自分にとって見えなくても良いもの(害のあるもの)が見えて、

その結果、[他人軸思考]になり、心が傷つきやすくなったと思います


今 メガネなしの方が笑顔、ジェスチャーが増えて脳と心と身体が一体 となることに気付きました。


子どもに触れるなかで、子どもは重荷、責任でなく、自分に笑顔やメッセージをたくさん与えて元気にしてくれる宇宙からの宝物だったんだと気づき、

子どもに対して感謝の心でいっぱいになりました。


子どもと一緒に身体を使って遊んだりコミュニケーションを取っていると、笑顔が増え、自然と自律神経 電気回路が整い今、これまで無表情 死んでいた顔 老けていた顔だった自分が、少しずつ感情表現できるようになり、回復を実感してきています。

 

近視というのは他人が貼ったレッテルで、


メガネ=他人が評価する世界でしか生きれない 自分軸で生きれないということに気づきました


自分はメガネなしの方が本来の自分軸であり、幸せになれる、人のハートと繋がれるとわかりました。

 

 

メガネを外して生活する=自分の最大の弱みをさらけ出すことが、自分の感覚(感覚過敏 発達性障害の特徴)も冴え渡り本来の直感力(天才性)がフルに発揮され


周囲の方からのサポートも受けることができ、そのことに対する真心の感謝の思いから、自他共の幸福に繋がり、フラクタル構造(宇宙のリズム)の流れに沿っていることだったんだと気付いたんです。

 

そして、今回学んだことは、実は幼少期から母が教えてくれていた仏法の思想と全く同じであることに気付いたんです。


本来の自分は感覚過敏から直感的に右脳で物事を捉える脳なのですが、学校教育など知らず知らずのうちに他人からレッテルを貼られることにより、左脳優位に書き換えられ、自分の心の声に対して、ハートを伴わない論理的思考で押し殺していることに気づいたんです。


もっと自分の心の声を素直に表現してもいいんだ

それが自分と周囲が幸せになることなら、勇気を持ってどんどん周囲に発信していってもいいんだと気づきました。

 

たまたまマスクを忘れたことが

のちに自分の最大の弱みを見せ、人と最大限に繋がれることへの理解を促す[メタファー]だったと気付きました。

 

また、一度仏法を離れて、東洋医学を学ぶことが、実は再度仏法を学んでいくことに繋がるという [メタファー] であることに気付きました。


今後は自分の最大の弱み=最大の長所を生かして人の心に感謝と幸せの波長を届けられるような人になっていきたいと、自身の使命がわかったような気がします。

 

この気付き、感謝を発信することで、

同じように苦しんでいる方へのサポートになり、もっともっと自分を好きになって自信をもって生きていってもらいたいと思っています🥲

 

最後に

読者の皆様は、今までどんな苦労や挫折を経験してきましたか?

またそれらから学んだことは何でしょうか?

 

良ければコメント欄で教えてくださいね😄

 

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。☺️