人生の試練を乗り越え、自他共の幸福への扉を開く 〜メガネの向こう側から見えた真実〜 自分を受け入れることの力

このブログを最後まで読んで頂くことで、どんな困難も乗り越えられる力や希望を、自分自身の中に見出せるようになるかもしれません。

 

人生の旅は、予測できない挑戦と共に歩むもの。
そして、人生の試練は、私たちの道を照らす光であり灯台のようなもの。

 

私の人生は、生まれた時から試練と苦労の連続でした。

 

私の物語は、遺伝の影響とともに始まりました。それは目の問題です。

 

私の家系は代々目が悪く

祖母は両目を失明、母も片目を失明。

自分も生まれつきの超近視(裸眼の視力が0.01くらい)でして、眼球もデメキン👀のように大きく前に出ています。

「この子は生まれつき目の前しか見えてないよ 眼球もラグビーボールの形をしていて引っ張られている形になっているからいつ失明してもおかしくない」と医者に言われ

母は幼子だった僕を抱きながら「なんでこの子まで....」と悲嘆に暮れていたようです。

 

母は仏教徒であり、私もその影響を受け、信心をしているのですが

 

自分達が目が悪いのは、

[過去世で犯した罪の証し]である。

 

しかし、[仏法を学び自他共の幸せに貢献していくならば、自身の罪業を転換し、薬へと変えていくことができる]

 

また、

[自分自身へ感謝することが、自他共の幸福へと繋がっていく それが宇宙のリズムなんだよ]

 

と幼少期から教わってきました。

 

この教えは今の自分にも強く生きているのですが、人生のさまざまな場面において、

頭ではこのことがわかっていても、心の奥底で自分を信じきれなかったり、腑に落ちない場面が多々ありました。

 

(私の幼少期の話に戻ります)

私は3歳ごろまでは、ぼんやりとですが

裸眼で時計も見えており、幼なじみや近所の子ども達と無邪気に心の底から楽しんで遊んでいたことは覚えています。

 

しかし、やはりDNAの影響でしょうか、祖母や母と同じく

自分も生まれてから何度も失明の危機に見舞われました。

4歳くらいだったと思うのですが、公園で野球していた人のボールがそのまま右目に直撃したり、小学5年生の時に、全力で廊下を走ってきた同級生の頭が自分の右目に直撃し、そのあまりの衝撃度合い、痛さから

「あ、失明したわ・・・」と思ったことは今でも覚えています。

 

その後も何度も目をぶつけており(必ず右目をぶつけてきました)、失明の危機を幾多となく乗り越えてきました。

 

幼少期の記憶を辿ると、目をぶつけることで視力が下がり、幼稚園の時計が見にくくなった4〜6歳ごろのタイミングでメガネをかけたことを覚えています。


また、自分は物心ついた時(おそらく4〜6歳ごろ)からの多汗症

人と手を繋ぐことが怖かったり、

 

発達障害(ASD ADHD)による過集中やケアレスミス

 

強迫性障害から来る、自分への追い込みと思い込み、見通しの立たないことに対しての不安

 

場の空気が読めずに人とうまくコミュニケーションが取れなかったり、日本特有の上下関係や体育会系な風土に慣れることができず、

きつい言葉を浴びせられたら、昔からストレートに受け取ってしまい、傷つきやすい体質でした。

 

また感覚過敏(視覚過敏 聴覚過敏)から光や音に敏感で、外で目を開けることができなかったり、都会やショッピングモールの騒音で疲れやすいなどの症状で悩んできました。

 

最近ではスマホやパソコン、家電などの電磁波にも弱く、仕事をしてから10年以上は不眠、頭痛、結婚してからは全身のかゆみといったアレルギー、最近は呼吸苦や動悸も出てきて動けない時もあるほど心身共に疲弊してます。

 

強迫性障害に関しては、

私が4〜6歳くらいの時に母親に

[男は稼いで家庭を守る]

[家族を守るためには安定した仕事に就くこと]

と教えられて育ってきたのですが、

その頃から将来家族を守るために安定した仕事に

就くためには、いわゆる良い大学に行かなければならない、そのためにはいわゆる良い高校に行かなければならない というような思考(後述する他人軸思考)が始まったと記憶しています。

 

ここまで、苦しいことの紹介ばかりでしたが、私には楽しいこともたくさんありました。

 

小学校の時に始めた少年野球では、心の底から楽しんでスポーツをすることができました。

努力してホームランを打つことができたり、ファインプレーからみんなと一致団結して喜びを爆発させるなど

できないことに対して、努力して、達成した体験から、自己肯定感を高める経験を得ることができました。

 

母親からも

[キラキラしているあなたを毎日見れることが本当に幸せでした]

とメッセージをもらった時に本当に嬉しかったことを覚えています。

 

また高校の時に、軽音楽部に誘われてバンドを始めたのですが、その時も本当に楽しく、

時間が過ぎ去るのがあっという間に感じられるくらい、充実した日々を送っていました。

 

(また苦労した話に戻ります)

学生時代に挫折した経験では、

大学受験において、1日10時間以上も勉強して、浪人までしても志望校に合格できず、

「なんで自分はこんなに頭が悪いんだろう」

「どうして論理的思考力が身につかないんだろう」

と自己肯定感を下げて生きてきました。


社会人になってから

人に暴言、悪口を言われるたびに、何度も鬱になったり

そこから不眠や頭痛 自責の念などで苦しんできました

(発達障害の人が、環境への適応ができずに発症する 二次性のうつ症状が出ていたと思います。)


特に職場に必ず1人はいてるお局さんに徹底的に目をつけられ、自分のできていないことを根掘り葉掘り見つけられ、人間性を否定する言葉を浴びせられ、心を病み転職を繰り返してきました。


「なんで自分はこんなに何もできないんだ!」

と自分で自分を責めすぎてしまって、胸が苦しくなり、何回も死にたいと思うこともありました。


そんな私ですが

縁あって今の妻と出会い、結婚をし、子どもにも恵まれることができました。子どもと過ごす日々は、自分にとって本当に宝物と言える素敵な日々です。

 

しかし、結婚をし、家を買ってからは一家の大黒柱としてのプレッシャーからか

 

「子どものため、家族のために頑張らなければならない」

 

そう自分に言い聞かせて足の靱帯が切れて歩けない時でも

不眠が続き呼吸が苦しくて駅まで歩けない時でも

「家族のために」と、休みの日でも家事育児などをして無理をしすぎて、自分を苦しめながらここまで生きてきました。

 

以前働いていた職場で

[おまえは発達障害があると思うから病院に行きなさい]と心無い言葉を浴びせられ

そのまま発達障害専門の脳クリニックに行って、

実際に発達障害があるとわかるのですが、

その時は自分の苦しみの原因が初めて発達障害だったんだとわかり、治すことはできないけど、困難への対処方法などはできるから、できる部分をやって社会に貢献できる人間になっていこうと前向きになれたことを覚えています。

 

発達障害のクリニックで、最新の脳の治療を受け、

ぐるぐる回るネガティブな思考から上手く切り替えができたり、不眠が良くなったと時もありましたが、長続きはせず、時間が経てばまた元に戻ると言った具体で

「なんで良くならないんだ」と、終わらない身体の不調に悩んできました。

 

ここに至るまで

本当に苦しく、人生の試練が永遠に続くかのように思われるような感じがしていたのですが、最近ようやく

これらの困難が私を強くし、人生の価値観を深め、理解を促す働きをだったと認識されられました。

 

私はこれらの試練を通じて、人生の中で何が本当に大切であるのか、どうすれば自分自身や他者の命を尊重し、感謝の心を持てるのかを学びました。そして、この経験を通じて、他者に伝えたい価値観や考え方が形成されてきました。

 

以下、そのプロセスを紹介していきたいと思います。


ある時、私は長年の心身の不調を本気で治したいと決意し

大阪にある、自律神経専門整体院に通うことになりました。

そして、そこの先生からキネシオロジーやチャクラのことを教わり、そこからYouTube東洋医学系の動画にたどり着きました。

 

キネシオロジーとは、運動学を基礎に生まれた筋肉の調整法です。 

 

身体の反応は全て心の反応、投影であり、自己の内面にアプローチすることで心身共に症状が改善していくという治療法です。

 

キネシオロジーの講義を受ける中で

 

[物事には必ずマイナスな面とプラスの面が一体となって存在している。

 

マイナスと思えることには必ずプラスの面があるから、マイナスは自分の学びを深め、人に貢献していくための宇宙から与えられたギフトだと思いなさい]

 

[自他共の幸福のためにと志を大きくした時に自分自身の最大の力が発揮できる]

 

と教わりました。

 

これを受けて私は

自分の過去のネガティブな経験、感情を全て思い返し、一つひとつのトラウマと向き合う必要があると思い、生まれてから今に至るまでの全てのネガティブな感情を思い返し、向き合いました。

 

そして、ネガティブなことでも、捉え方次第、考え方次第でプラスに変わるとわかり、今まで経験してきたことが全て意味をなして繋がっているような気がしました。


自分は看護師をしているのですが、

実は先日たまたまマスクを忘れて出勤したことがありました。


その時に、キネシオロジーで学んだことを思い出し

 

[人はパズルのピースみたいに凸凹があるから、自分の凹んでいる部分は人に自然と補ってもらって貢献感や幸福感を味わってもらうと良い]

 

[逆に人の凹んでいる部分に対しては自分の凸(天才性の部分で)で補い、みんなが無理なく自然に協調しながらお互いに貢献しあって行けば良い]


これらのことを思い返すと、これまでマスクをしていた自分って、無意識のうちに自分の表情=自分の感情=弱み

を見せないようにしていたことに気づいたんです。


「自分の弱みを見せた方が人と繋がることができる」


これを意識してマスクなしで働いてみると、心と身体と脳が、一体となって行動できているのでしょうか 不思議と今まで苦手だと思っていた人と仲良くなれたり、協力できていることに気づきました。


また、自分の弱みを見せることで患者さんが心の悩みを打ち明けてくれたり、自然と心で共鳴し合えた実感がありました。


「あ、自分の弱みって、恥ずかしがらなくてもよくって、人にさらけ出してもいいんだ!」

と実体験で学ぶことができました。


そう思うと、今までの自分がいかに弱みを見せずに、長所ばかり見せようとして、職場でもプライベートでも人間関係が上手くいかず、転職を繰り返し続けて挫折してきたか、自分に無理をしてきたかを痛感しました。

 

このマスク忘れの一件以降

「自分の最大の弱みってなんだろうか」と


家族全員で断捨離をしてから考えた時に

(断捨離をすることで、思考が過去から未来へと切り替わり、前に進んでいけると教わりました。)

(この時は大のゴミ袋7つ分も断捨離することができました。笑)

 

自分の最大の弱みって

「生まれつきの超近視」だと悟ったんです。


そこで、先日人生で初めてメガネを外して仕事(夜勤も)をしました


裸眼ではぼんやり色と輪郭、動きがわかるくらいで、それ以外はほとんど見えてないんですけど、

 

感謝と自他共の幸せを願う心があれば


直感力が冴え渡り、メガネなしでも周囲が自然と協力してくれて、忙しくても問題なく回転することを実感致しました。


患者さんの体の変化から、今どういう心の変化があるのか?

どういう思いで過ごしているのか?不安は?気がかりなことは?

と、心を感じながら、その方の想いに寄り添える看護ができるようになりたい とこれまでしてきた看護から、がらっと考え方、接し方が変わりました。


あと嫌いな人や苦手な人でも必ず僕の言うことを聞いてくれるようになり、不思議な感覚を覚えました。

(もしかして、過去の嫌いな人も、メガネなしで関わっていたら、自分のことを助けてくれる、自分の凹みを埋めてくれる味方だったのかも?

そう思えてきました。)


「あー、生まれつきの視覚過敏、聴覚過敏は、人と心を通わせるための人より優れたセンサーだったんだ」と気づきました。


過去にも今にも、自分に嫌な態度をする人がいて、その人は自分に壁を作って心をを閉ざたり、攻撃的な態度をとってくるんですが、

(メガネをかけていないとその人のことが見えない)


あー、今までのド近視って嫌なことや、害のある波形を感じにくい 自分の心が傷つかず自分を守るためのものだったんだと気付くことができました。


今まで受験で挫折してきたけど、自分の良さ、人に貢献できる部分って受験など他人の評価では測れない所にあったんだと気づきました。

 

スピリチュアル的にはこれからは風の時代と言われています。

今後は人の心を大切にしていける人や企業が生き残っていく。

そういう時代に、自分は生きていけるように、この感覚過敏があるんだと思いました。

そのために、この自分のセンサーを人の心ために活かしたい。

 


この件から

いわゆる害虫(ゴキブリとか)って、もしこの世界が原始時代でメガネのない世界なら

自分には害虫は見えていなし、視界に入ったとしてもなんか小さい動く物くらいにしかわからなかったと思ったんです。


害虫って、人間が生み出した人間が勝手に貼ったレッテルだと気づいたんです。

害虫(ゴキブリ)と言われている存在が、実際は人間のエゴと欲望が生み出した産物だと。


この世界が原始時代で環境汚染のない世界なら、害虫とか言われていなかったと思うんです。


そして自分にとって本当の害虫は、

[発達障害だからあいつはダメ]

[超近視で何も見えてないからあいつはダメ]

と自分にレッテルを貼り付けて人間性を否定したり、他人の目で良い悪いや上下など評価したり

、差別化する人間だと気付いたんです。


「自分の生まれつきのド近視と感覚過敏は、見えなくても人と心で繋がるためのセンサーであり、また自分が害虫を見なくて済むように、宇宙が自分に与えてくれたギフトだったんだ」と気づきました。


そう思った時に

「こんな自分はダメな人間なんだ!」

と、一体今までどれだけ自分自身に暴言を浴びせ続けてきたんだろう。

「身体は自分のことを必死に守ってくれていただけなのに、と自分に対して長い間本当にごめんね、そしてありがとう、これからは自分を大切にしていくね」

と心から感謝ができるようになり、

自然と涙が溢れ出てきました


自分は3.4歳ごろからメガネをつけてるんですけど、おそらくその時から自分にとって見えなくても良いもの(害のあるもの)が見えて、

その結果、[他人軸思考]になり、心が傷つきやすくなったと思います


今 メガネなしの方が笑顔、ジェスチャーが増えて脳と心と身体が一体 となることに気付きました。


子どもに触れるなかで、子どもは重荷、責任でなく、自分に笑顔やメッセージをたくさん与えて元気にしてくれる宇宙からの宝物だったんだと気づき、

子どもに対して感謝の心でいっぱいになりました。


子どもと一緒に身体を使って遊んだりコミュニケーションを取っていると、笑顔が増え、自然と自律神経 電気回路が整い今、これまで無表情 死んでいた顔 老けていた顔だった自分が、少しずつ感情表現できるようになり、回復を実感してきています。

 

近視というのは他人が貼ったレッテルで、


メガネ=他人が評価する世界でしか生きれない 自分軸で生きれないということに気づきました


自分はメガネなしの方が本来の自分軸であり、幸せになれる、人のハートと繋がれるとわかりました。

 

 

メガネを外して生活する=自分の最大の弱みをさらけ出すことが、自分の感覚(感覚過敏 発達性障害の特徴)も冴え渡り本来の直感力(天才性)がフルに発揮され


周囲の方からのサポートも受けることができ、そのことに対する真心の感謝の思いから、自他共の幸福に繋がり、フラクタル構造(宇宙のリズム)の流れに沿っていることだったんだと気付いたんです。

 

そして、今回学んだことは、実は幼少期から母が教えてくれていた仏法の思想と全く同じであることに気付いたんです。


本来の自分は感覚過敏から直感的に右脳で物事を捉える脳なのですが、学校教育など知らず知らずのうちに他人からレッテルを貼られることにより、左脳優位に書き換えられ、自分の心の声に対して、ハートを伴わない論理的思考で押し殺していることに気づいたんです。


もっと自分の心の声を素直に表現してもいいんだ

それが自分と周囲が幸せになることなら、勇気を持ってどんどん周囲に発信していってもいいんだと気づきました。

 

たまたまマスクを忘れたことが

のちに自分の最大の弱みを見せ、人と最大限に繋がれることへの理解を促す[メタファー]だったと気付きました。

 

また、一度仏法を離れて、東洋医学を学ぶことが、実は再度仏法を学んでいくことに繋がるという [メタファー] であることに気付きました。


今後は自分の最大の弱み=最大の長所を生かして人の心に感謝と幸せの波長を届けられるような人になっていきたいと、自身の使命がわかったような気がします。

 

この気付き、感謝を発信することで、

同じように苦しんでいる方へのサポートになり、もっともっと自分を好きになって自信をもって生きていってもらいたいと思っています🥲

 

最後に

読者の皆様は、今までどんな苦労や挫折を経験してきましたか?

またそれらから学んだことは何でしょうか?

 

良ければコメント欄で教えてくださいね😄

 

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。☺️